
「権限がないのに、なぜ動かせるのか」という問い
組織の中で何かを推進しようとしたとき、「自分にはそれを指示する権限がない」と感じたことはないでしょうか。
部門横断のプロジェクトを任されたのに、関係部署に対する指揮権はない。提携先との調整を担っているのに、社内の制度を変える力は持っていない。やるべきことは見えているのに、自分の持つ公式の力だけでは、到底足りない──。
MBA「パワーと影響力」Day4のテーマは、「文化の異なる他組織を動かす」でした。授業では大手IT企業2社の業務提携ケースを議論し、後半では囚人のジレンマを体感するビール会社ゲームが行われました。
この回は、全6回中で唯一のレポート課題回でもあり、評価の40%を占める重要な回です。しかし私にとっては、評価以上に「自分の仕事そのもの」と重なる回でした。なぜなら、私自身がまさに「公式の権限なしに組織を動かす」立場にいるからです。
この記事では、Day4で学んだ「バウンダリースパナー(境界連結者)」という概念と、信頼と互恵に基づく影響力の技術について、自分自身の実務経験と重ねながらお伝えします。
本記事はMBA「パワーと影響力」シリーズの第4回です。
業務提携ケース──なぜ提携は進まなかったのか
Day4で扱ったケースは、大手IT企業2社の業務提携です。戦略的にはどちらにとっても合理的な提携でしたが、遅々として進みません。
授業ではまず、「なぜ進まないのか」をアライアンス・マネージャー(AM)の視点で分析しました。見えてきた原因は多岐にわたります。
- 提携項目が多すぎる:複数のイニシアティブを同時に進めようとして、焦点が散漫になっていた
- 企業文化の違い:一方は合意形成を重視する慎重なプロセス志向、他方は「まず試す」スピード重視型
- 組織からの公式サポートが弱い:現場レベルでは提携を推進するインセンティブが乏しかった
- 評価制度が提携に連動していない:提携先の製品を売っても営業のノルマにカウントされない
これらを「パワーと影響力(P&I)」のフレームワークで分析すると、ひとつの仮説が浮かび上がります。
AMの持つ公式のパワー < 業務提携推進の難易度
つまり、提携を推進すべきAMに、それを実現するだけの公式な権限が与えられていなかったのです。
動かすべき3つの対象──それぞれの利害と感情
授業では、AMが影響力を及ぼすべき対象を3つに整理しました。
1. トップマネジメント
提携を最も実現したいのはトップですが、AMに対する権限付与は限定的です。一方で、AMの専門性なしには提携は前に進めない。ここには実は「相互依存」の関係があります。AMはそれを認識し、トップとの協働を引き出す必要がありました。
2. ビジネスユニット(BU)
提携のメリットが大きいBUとは協力関係を築けますが、デメリットのあるBU──たとえば自社製品が提携先の製品と競合するBU──からは、敵対視される恐れがあります。
3. 相手のAM(カウンターパート)
興味深かったのは、相手のAMもまた「自社内では同じような苦労をしている」という視点です。つまり、カウンターパートは敵ではなく、同じ境遇の仲間。この気づきが、提携を前に進める上で重要な意味を持つことになります。
文化の違いをどう乗り越えるか
授業で印象的だったのは、提携する2社の企業文化の違いについての議論でした。老舗で慎重な企業と、若くてアジャイルな企業。この違いは「どちらが正しいか」ではなく、「異なる合理性を持っている」ということです。
授業では「両社を『異なる』と捉えるか、『似ている』と捉えるか?」という問いが投げかけられました。異文化マネジメントで学んだことと通じますが、違いに注目し続ける限り、相手を認めることは難しい。共通点を見出す認知の転換が、提携推進の起点になるのです。
ロールプレイ──反対するBUを説得する「至難の業」
Day4で最もインパクトがあったのは、ロールプレイでした。
受講者が2人1組になり、一方はAM、もう一方は提携に反対するBUの事業部長を演じます。AMの役割は「公式な権限なしに、反対するBUを説得し、協働に持ち込むこと」。しかし、BU側は絶対に譲らない設定になっており、ロールプレイを終えた後には「協働に持ち込むなんて、無理じゃないか」という空気が漂いました。
ここで講師が投げかけた問いが、本質を突いていました。
「なぜAMに公式の力を持たせないのか?」
答えは逆説的です。AMに強い権限を持たせると、コミットメントと一貫性の原理が逆に作用してしまう。一度立場を決めてしまうと、変化する交渉の場で柔軟性を保てなくなる。しがらみやメンツに縛られず、「両社にとって何がベストか」を原則に立脚して柔軟に交渉するためには、あえて公式の権限を持たせないほうが合理的だったのです。
これは目から鱗でした。「権限がない」ことを不利だと思っていたのに、実はそれ自体が交渉上の戦略的ポジションだった。この気づきは、自分自身の立場を捉え直すきっかけになりました。
小さく始めて、信頼を積み上げる
ケースの後半では、提携がその後どう進展したかが議論されました。そこから見えてきた成功のカギは、3つのアプローチでした。
1. 提携の範囲を絞る
抵抗の強い領域は避け、協力しやすいテーマだけに焦点を絞る。拡散せず、じっくり議論することで、両社のAMが互いを深く知り、信頼を築く時間が生まれました。
2. 早期に成功事例を作る
絞った領域で早期に成果を出し、その実績をもとに次の領域へ広げていく。まさに「社会的証明」の力です。「実際にうまくいっている」という事実が、反対派の態度を変える最大の武器になりました。
3. 充実した基本契約で後続を容易にする
最初の領域で充実した基本契約を締結したことで、その後の活動がスムーズに進むようになりました。「コミットメントと一貫性」の原理がここではポジティブに作用し、一度合意した方向性に沿って、関係者が自然と動き始めたのです。
ここで使われた「影響力の武器」を整理すると、好意(相互理解による信頼構築)、社会的証明(成功事例による態度変容)、コミットメントと一貫性(基本契約を起点とした行動の連鎖)の3つ。Day1で学んだチャルディーニの6つの武器が、組織間の提携というスケールでも有効に機能することを、ケースを通じて実感しました。
ビール会社ゲーム──囚人のジレンマを体感する
授業の後半は、体感型の演習でした。
受講者が2人1組になり、ビール会社Xグループの子会社A・Bのブランド責任者をそれぞれ演じます。毎月のプロモーション費を「増額」か「現状維持」かで意思決定し、相手の選択との組み合わせで利益が決まるという設定です。
利得構造はまさに囚人のジレンマ。両方「現状維持」なら各3億円、自分だけ「増額」なら5億円だが相手は0億円、両方「増額」なら各マイナス2億円。相談は禁止で、4月から8月まで5ラウンド繰り返します。
最初に裏切りが起きると報復の連鎖が始まり、一度崩れた信頼は簡単には回復しません。逆に、最初から協力を選び続けたペアは、安定して高い利益を積み上げていきました。
この演習から導き出されたのが、「利他的利己主義」──自分の利益を最大化するためにこそ、相手の利益を考えた協力行動をとるべきだという考え方です。
さらに授業では、利己主義が長期的には淘汰される3つの原理が紹介されました。
- 互恵不能原理:わがままな人は結局誰にも相手にされず、孤立する
- 暴露原理:人間には、裏切りで短期的に得をしようとする人を見抜く能力が進化的に備わっている
- 集団淘汰原理:利己主義者の増殖を止められなくなった集団は、集団ごと死滅する(イースター島の文明崩壊が引き合いに出されました)
短期的に「自分だけ得をしよう」とする人は、一時的にはうまくいくように見えても、やがて周囲から信頼を失い、孤立していく。ビジネスの世界でも、この進化心理学的なメカニズムは確実に作用しています。
信頼の定義──不確実性の中で相手を信じるということ
Day4の終盤で紹介された、社会心理学者・山岸俊男の「信頼」の定義が、深く心に残りました。
「信頼とは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の人間性のゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えること」
この定義のポイントは「不確実性が存在しているにもかかわらず」の部分です。
確実なことがわかっている状態で相手を信用するのは、信頼ではなく計算です。結果が読めない中で、それでも相手の人間性を根拠に「大丈夫だろう」と思えること。それが信頼の本質です。
ビール会社ゲームで「現状維持」を選ぶことは、まさにこの信頼を試される行為でした。相手が裏切れば自分は0億円。それでも「この人は協力してくれるはずだ」と信じて選択する。その小さな信頼の積み重ねが、結果として双方にとっての最大利益を生む。
業務提携のケースでも、AMが最終的に提携を前進させた行動の根底にあったのは、この「不確実性の中で相手を信じる」という姿勢でした。
自分自身の仕事との重なり──ITマネージャーという境界連結者
Day4のテーマは、私にとって最も実務に近い回でした。
私はITベンダーでITマネージャーをしています。顧客と自社の開発チーム、さらにはインドの親会社のグローバルチームとの間に立って、プロジェクトを前に進める仕事です。三者はそれぞれ異なる文化、異なる評価軸、異なる時間軸で動いています。そして私には、これらの関係者に対する公式の指揮権はありません。
これは、ケースのAMが直面していた状況と驚くほど似ています。
私の会社はインドの企業に買収されており、日印の文化が交差する環境で日々仕事をしています。ケースで議論した2社の文化比較──慎重なプロセス志向と、スピード重視のアジャイル型──は、まさに私が日常的に経験している日本チームとインドチームのコミュニケーションスタイルの違いと重なります。日本側は合意形成を重視し、インド側はスピードと実行を重視する。どちらが正しいわけでもない。でも、その間に立つ者がいなければ、プロジェクトは前に進みません。
レポート執筆を通じて気づいたのは、私自身がこれまで無意識に「バウンダリースパナー」の役割を担ってきたということでした。境界を越えて人々をつなぎ、情報を翻訳し、異なるグループをリンクする。それは教科書的な定義そのものでした。
ただし、授業ではバウンダリースパナーが直面する課題も紹介されました。
- 価値観や信念の対立に引き裂かれがち
- 下層グループからは蚊帳の外にされがち
- 自グループには引きこまれがち
これもまた、身に覚えのあることばかりです。顧客と開発チームの板挟みになり、どちらの味方なのかと問われる場面。インドのグローバルチームからは「日本は特殊だ」と言われ、日本の現場からは「本社の方針は現場を分かっていない」と言われる。その間で、どちらにも偏らず、全体最適を追求する。それがバウンダリースパナーの宿命であり、同時にやりがいでもあります。
レポート課題から得た最大の気づき
Day4はレポート課題の回でした。ケースを深く分析してレポートを書く過程で、私が最も強く感じたのは、「パワーの設計」という視点の重要性です。
ケースのAMは、個人としては誠実で信頼構築にも長けていました。しかし、影響力を「構造」に届けることができなかった。評価制度や報酬体系を変えるチャネルを設計できなかったために、個人の説得力だけでは現場を動かしきれなかったのです。
これは自分への戒めでもあります。私はつい「個人の信頼関係」に頼りがちですが、属人的なパワーは人が変わればゼロに戻る。AMに求められていたのは、「誰に」「どの順番で」「どんなカレンシーを」「どのチャネルで」届けるかを設計する能力でした。それはITマネージャーにもそのまま当てはまります。
おわりに──信頼のGIVEを、まず自分から
Day4の振り返りで、講師が投げかけた問いが忘れられません。
「信頼の構築、そして蓄積のための”GIVE”、あなたにはできていますか?」
ビール会社ゲームが示したように、信頼は「まず自分から協力する」ことで始まります。相手が裏切るかもしれないという不確実性の中で、それでも先にGIVEする。短期的には損をするリスクがあっても、長期的には互恵的な関係こそが最大の利益を生む。
ケースのAMが最終的に成功したのも、提携の範囲を絞り、まず自分たちから歩み寄るという信頼のGIVEから始まりました。反対するBUへの対処を後回しにし、協力しやすい相手と先に成功体験を作る。それは妥協ではなく、信頼を構造的に積み上げる戦略でした。
私自身も、日印の文化が交差する環境で、顧客と開発チームの間に立つ毎日を送っています。公式の権限は限られている。でも、だからこそ柔軟に動ける。権限がないことは弱さではなく、原則に立脚した交渉を可能にする戦略的なポジションなのだと、Day4は教えてくれました。
まずは自分から信頼をGIVEすること。そして、その信頼を属人的な関係で終わらせず、制度やプロセスに接続していくこと。バウンダリースパナーとしての私の次のステップは、そこにあると思っています。