
サービス・マネジメントの学び、11本目。最終セッションで取り上げたのは、ある米国のLCC(格安航空会社)の事例だ。この企業の戦略は、「何を捨てるか」が明確であることに尽きる。
「捨てる」ことで圧倒的に勝つ
この航空会社の戦略は明快だ。
- 小型機に統一し、整備効率を最大化
- 市街に近い小規模空港を使い、コスト削減と利便性を両立
- 機内食なし、全席エコノミー、座席指定なし
- ポイント・トゥ・ポイントの直行便で、折り返し時間を最短化
機内食もラウンジもシート指定も、大手が「当然提供するもの」として用意しているサービスを、すべて捨てている。
その代わりに、低価格・高頻度運航・フレンドリーな接客・定時運航で圧倒的に突出する。「捨てる」ことで浮いたリソースを、「突き抜ける」要素に集中投下しているのだ。ここで見落としてはならないのは、捨てた要素と残した要素が無関係ではないということだ。機種を統一したから整備が効率化され、整備が速いから折り返し時間が短くなり、折り返しが速いから運航頻度を上げられ、運航頻度が高いから単価を下げても採算が取れる。「捨てる」選択が連鎖的にコスト構造全体を最適化し、結果として「突き抜ける」要素を支えている。

バリューラインとは何か
この「メリハリ」を理論的に整理したのがバリューラインの考え方だ。
サービスの各属性(価格、利便性、快適さ、接客、食事、etc.)を横軸に並べ、自社の提供レベルを縦軸にプロットする。各属性の提供レベルを線で結ぶと、折れ線グラフが描ける。これがバリューラインだ。
業界の平均的なプレーヤーは、すべての属性でそこそこのレベルを提供する。折れ線は水平に近い形になる。一方、優れたサービス企業のバリューラインは波が激しい。特定の属性が飛び抜けて高く、他の属性は意図的に低い──鋭い山と深い谷がある折れ線になるのだ。
この航空会社のバリューラインを描くと、「価格の安さ」「運航頻度」「接客の楽しさ」「定時率」で業界平均を大きく上回り、「機内食」「座席の快適さ」「ラウンジ」「国際線ネットワーク」では業界平均を大きく下回る。この極端なメリハリこそが、戦略だ。

万人に万全を提供しようとすれば、すべての属性が平均的な「フラットなライン」になる。それは「どこにも突出していない」状態であり、差別化にならない。顧客から見れば「可もなく不可もない」存在になる。
戦略とは「何をしないかを選ぶこと」──マイケル・ポーターの有名な言葉だが、バリューラインはこの原則を視覚的に表現したフレームワークだと言える。ポーターが指摘したように、競争戦略の本質は「独自のポジショニングを確立すること」であり、そのためには「やらないこと」を明確に決める必要がある。すべてをやろうとする企業は、結局どの領域でも中途半端になり、戦略的に行き詰まる。
「安いから勝てた」のではない
ここで注意すべきなのは、この航空会社が「安さ」だけで勝ったのではないという点だ。
講義で議論した創業初期のエピソードが印象的だった。資金繰りに苦しむ中、競合が半額セールで報復してきた。一時は自社も値下げで対抗したが、それは消耗戦を招くだけだった。
この経験から得られた教訓は、価格の引き下げは最も模倣されやすく、サービスのコモディティ化を招くということ。安売りで勝てたように見えても、その裏で従業員は疲弊し、本来の強みであるフレンドリーな接客ができなくなる。価格競争は、SPCの好循環を破壊する最も確実な方法だ。
ここでこの企業が取った反撃は、価格ではなく「価値」での勝負だった。講義で「ウイスキー作戦」として紹介されたこの反撃は、正規料金で搭乗した顧客にウイスキーのボトルをプレゼントするというものだった。一見すると単なる販促キャンペーンに見えるが、この施策には深い戦略的意図がある。
第一に、「安さ」ではなく「楽しさ」と「お得感」で勝負するというメッセージを、顧客にも従業員にも示した。第二に、正規料金でも「この体験なら価値がある」と感じさせることで、価格競争から離脱した。第三に、このキャンペーンはSNSもない時代に口コミで拡散し、ブランド認知を飛躍的に高めた。
最終的にこの企業が勝ったのは、価格ではなく「価値」だった。正規料金でも選ばれ続ける──そのためには、「この価格で、この体験が得られるなら」と顧客が納得する独自の価値提案が不可欠なのだ。価格は模倣できるが、企業文化に根ざしたサービス体験は簡単には模倣できない。これが持続的な競争優位の源泉だ。
SPCが回っている好例
この航空会社がシリーズの最後に登場した理由は、SPCが教科書通りに回っている好例だからだ。
「愛」をテーマにした企業文化。フレンドリーで自発的に動く客室乗務員。マーケティング志向の組織。──これらはすべて、SPCの起点である「社内サービスの質」の表れだ。
従業員が楽しそうに働いている姿は、そのまま顧客体験になる。「このエアラインは何かが違う」という感覚は、従業員のエンゲージメントの高さから生まれている。
面白いのは、この企業が採用時に重視するのも「ユーモアのセンス」と「利他性」だということ。前回のホテルチェーンと同様、スキルより価値観を優先する採用だ。業種は違えど、サービスの人づくりの原則は同じだと再確認した。
さらに注目すべきは、この企業が従業員を「社内顧客」として位置づけている点だ。SPCの考え方では、まず従業員に対して最高のサービスを提供し、それが顧客への最高のサービスにつながる。この航空会社はまさにそれを体現していた。従業員の声を経営に反映する仕組み、現場の判断を尊重する文化、従業員同士が感謝を伝え合う制度──これらは「管理」ではなく「協調」と「創造」の仕組みだ。だからこそ、客室乗務員が機内で即興のユーモアを発揮できる余白が生まれ、それが他社には真似できない顧客体験になっている。
バリューラインは自社だけでなく競合も描く
バリューラインの実務的な使い方として重要なのは、自社のラインだけでなく、競合のラインも重ねて描くことだ。自社と競合のバリューラインを同じグラフに重ねると、「どこで差別化できているか」「どこが被っているか」が一目でわかる。
この航空会社の場合、大手フルサービスキャリアとバリューラインを重ねると、「機内食」「座席」「ラウンジ」では大きく負けているが、「価格」「運航頻度」「従業員の親しみやすさ」では大きく勝っている。そして重要なのは、勝っている属性と負けている属性が、同じ顧客セグメントにとって意味のある差別化になっていることだ。「安くて、頻繁に飛んでいて、楽しい」──短距離のビジネス出張や家族旅行には、これで十分であり、むしろ大手より魅力的だ。
「戦略とは何をしないか」をITで考える
バリューラインの考え方は、ITプロジェクトのスコープ定義にそのまま適用できる。
「あれもやりたい、これもやりたい」という顧客の要望にすべて応えようとすれば、どの機能も中途半端なシステムになる。「何を作らないか」を決めることが、プロジェクトの価値を最大化する。
提案の段階で「この機能は今回のスコープから外しましょう」と言い切る勇気。それは、バリューラインの設計そのものだ。特定の機能に集中的にリソースを投じることで、その領域では圧倒的な品質を実現する。全方位で平均点を取るより、はるかに顧客の課題解決に貢献できる。
ITデリバリーマネージャーとして、この「捨てる判断」は日常的に求められる。プロジェクトのリソースは有限だ。100の要望に対して100を作ろうとすれば、すべてが60点のシステムになる。20の要望に絞って100点を目指すほうが、顧客のビジネスへのインパクトは遥かに大きい。バリューラインの考え方は、スコープ定義の議論を「何を削るか」のネガティブな話ではなく、「何で突き抜けるか」というポジティブな戦略議論に変えてくれる。
環境変化への対応──コア戦略を守る判断
この航空会社の事例からもうひとつ学んだのは、環境が変わっても「コア戦略を守る」判断の重要性だ。
同時多発テロ後、セキュリティチェックの厳格化で定時運航率が低下した。「折り返し時間を延ばせば定時率は改善する」──だがそれは、この企業の生命線である高稼働率を犠牲にすることを意味する。
議論の結論は、見かけの数字を追うためにコア戦略を破壊してはならない、というものだった。環境変化に適応しつつも、自社が「何を捨てないか」を見失わないこと。
これはIT業界でも頻繁に起こる判断だ。市場のトレンドが変わるたびに「うちもAIをやるべきだ」「クラウドに移行すべきだ」「DXを推進すべきだ」──外部環境に振り回されて、自社のコアコンピタンスを見失う企業は少なくない。
環境変化への対応は必要だ。だがそれは、コア戦略を捨ててトレンドに飛びつくことではない。自社のバリューラインの「山」を維持しながら、環境変化に適応する方法を見つけること──それが戦略的な環境適応だ。この航空会社は、テロ後の環境変化の中でも「低コスト・高頻度・フレンドリー」というコア戦略を守り抜いた。守るべきものを守ったからこそ、環境が安定した後に再び飛躍できたのだ。
この回の学びを深める書籍
「高業績メーカーは『サービス』を売る」(小森哲郎他著、ダイヤモンド社)──製造業のサービス化事例を通じて、バリューラインの設計方法を学べる一冊。「モノ」を売るだけでなく「価値」で勝つために、何を提供し何を捨てるかの判断基準が、具体的な事例とともに示されている。
次回予告
次回はシリーズ最終回。全12回の学びを統合し、日本の従業員エンゲージメントはなぜ世界最低レベルなのか、そしてサービス・マネジメントの知見をどう実務に活かすかを考える。
