AI推論コストが加速するクラウド・リパトリエーション

AI推論を24時間止めずに動かすコストと、クラウドの外へデータを出すたびに課される通信費(エグレス費用)が、企業のインフラ判断を揺さぶっている。銀行大手Barclaysが四半期ごとに実施するCIO調査(2024年第4四半期)では、86%のCIOが一部ワークロードをパブリッククラウドからオンプレミスまたはプライベートクラウド(自社専用のクラウド基盤)へ戻す計画があると回答した。半導体大手Broadcomの調査でも、AI推論の本番稼働先はパブリッククラウドからプライベートクラウドへ移りつつある。本稿はミライラボの読者であるIT×経営の意思決定者に向けて、この「クラウド・リパトリエーション(クラウドからの回帰)」の実態を数字で読み解き、どのワークロードをオンプレ側に戻すべきかの判断軸を示す。

予備知識

  • クラウド・リパトリエーション: 一度パブリッククラウドに移したワークロードを、オンプレミスやプライベートクラウドへ戻す動き
  • エグレス費用: クラウド事業者の外部へデータを転送する際にかかる通信料金。取り込みは無料でも、出す側にだけ課金する事業者が多い
  • プライベートクラウド: 自社専用のサーバー基盤に、パブリッククラウドと同様の仮想化・自動化を実装した環境。他社と物理基盤を共有しない
  • ハイブリッド構成: パブリッククラウドとオンプレミス/プライベートクラウドを併用し、ワークロードの性質に応じて配置先を使い分ける構成

クラウド費用の可視化と部門横断の意思決定プロセスを体系化したいなら、まず読むべき一冊である。

AI推論の常時稼働コストとエグレス費用が押し上げる支出構造

AI推論は学習と異なり止められないワークロードであり、この継続稼働こそがクラウド費用膨張の主因になっている。GPU8基構成のクラウドインスタンスを24時間365日動かし続けると、年間費用は27万ドル(約4,185万円、1ドル=155円換算)を超えるとの試算がある。学習用途と違って本番推論は停止できないため、割引の効くスポットインスタンスや予約解約が使いにくい。

さらに、推論結果や学習済みモデルの出力を別サービスや自社の分析基盤へ運ぶたびにエグレス費用が発生する。ある試算では、エグレス費用がクラウド移行・運用コスト全体の6〜12%を占めるという。Broadcomの調査では、パブリッククラウドの懸念点として「コスト」が2025年の26%から2026年には31%へ上昇し、セキュリティを上回って首位になった。同調査ではIT責任者の97%が自社のクラウド支出に無駄があると考えており、52%は無駄が予算の25%を超えると見積もっている。

AI推論常時稼働からクラウド費用膨張までのフロー図
AI推論の常時稼働がクラウド費用に積み上がる流れ

オンプレとクラウドを併用する構成でどこまでゼロトラストを貫けるか、設計の勘所を具体的に押さえられる。

Barclays調査とBroadcom調査が示す「回帰」の実態

複数の調査が一致して示すのは、企業の過半数が少なくとも一つのワークロードをクラウドから引き戻す計画を持つという事実である。Barclaysの2024年第4四半期CIO調査では、86%のCIOが一部ワークロードのオンプレ/プライベートクラウドへの回帰を計画していると回答し、調査開始以来最も高い水準となった。理由として最も多いのはコスト(54%)で、性能(31%)、データ主権(27%)が続く。

ただしこの数字には注意がいる。米WebProNewsは、この種の調査結果が「回答した企業の何%が回帰を計画しているか」を示すにすぎず、「全ワークロードの何%が戻るのか」を意味しないと指摘する。仮に100社のうち86社がそれぞれ1つの小さな非基幹ワークロードだけを戻しても、見かけ上は86%という高い数字になる。Broadcomの「Private Cloud Outlook 2026」調査(2026年2〜3月、8カ国のIT責任者1,800人が対象)は、より用途を絞った実態を示している。AI推論の本番稼働先にプライベートクラウドを選ぶ企業は56%に達し、パブリッククラウドの利用は前年から15ポイント下がって41%になった。同調査では83%の企業が回帰を検討中、50%が既に一部を実行済みと回答している。

パブリッククラウド回帰の主な理由(Barclays CIO調査)
AI基盤/クラウド/コスト

クラウド費用の急増に気づいてから原因を突き止めるまで、FinOpsやインフラの担当者はコストエクスプローラーの画面とCloudTrailのログを手作業で突き合わせてきた。AWSは2026年6月9日、この調査作業を生成AIエージェント[…]

Gartnerが予測するハイブリッド構成40%達成のシナリオ

個別企業の回帰判断が積み上がった結果として、Gartnerは基幹ワークロードにおけるハイブリッド構成の採用率が2026年末までに40%へ達すると予測する。この40%という水準は、数年前の約8%から急伸する計算になる。

背景には、稼働率が高く定常的な負荷のワークロード(データベース、レンダリング、AI推論など)が、負荷変動の大きいワークロードに比べて3.2倍回帰されやすいという傾向がある。これらは常時起動が前提のため、パブリッククラウドの従量課金メリットが薄く、自社設備の減価償却で費用を平準化しやすい。逆に季節変動やスパイクの大きいワークロードは、パブリッククラウドの弾力性が有効に働くため残りやすい。Gartnerの予測が示すのは「クラウド一辺倒からの撤退」ではなく、ワークロードの性質によって配置先を使い分ける判断が主流化するという構図である。

基幹ワークロードのハイブリッド構成採用率
AI基盤/クラウド/コスト

2026年1月4日の土曜日、AWSはEC2 Capacity Blocks for ML(GPUを期間予約で確保するサービス)の料金を、正式なアナウンスなしに約15%引き上げた[1][2]。対象はNVIDIA H200(大規模AI向[…]

ワークロード別に見るコスト判断軸——どこをオンプレに戻すか

ハイブリッド構成への移行を検討する際は、稼働パターン・データ量・機密性の3軸でワークロードを仕分けると判断がぶれにくい。稼働率が高く定常的で、出力データ量の多いワークロードほど、オンプレやプライベートクラウドに寄せる判断の効果が出やすい。

ワークロード種別稼働パターン適した配置主な理由
AI推論(本番)常時稼働プライベート/オンプレGPU稼働率が高く定額化が有利
バッチ分析・レンダリング定常的高負荷プライベート/オンプレ高稼働率型で回帰されやすい
開発・検証環境変動が大きいパブリッククラウド従量課金の弾力性が活きる
季節性Webトラフィックスパイク型パブリッククラウドピーク時のみ拡張できる

判断は一度に全社では下さず、ワークロード単位の棚卸しから始める。エグレス費用の実額と、GPUインスタンスの稼働率を数値で押さえてから配置先を決めると、感覚的な「クラウド一択」からの脱却がしやすい。

稼働パターンとデータ機密性から配置先を決めるフロー図
ワークロード特性に応じた配置先の判断フロー
AI基盤/コスト

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よくある質問(FAQ)

Q1. クラウド・リパトリエーションはクラウドからの全面撤退を意味するのか。
意味しない。Gartnerが予測するのはハイブリッド構成の拡大であり、変動負荷の大きいワークロードは引き続きパブリッククラウドに残る。

Q2. なぜAI推論のコストがオンプレ回帰の主因になるのか。
推論は学習と異なり止められない常時稼働ワークロードであり、割引の効く仕組みが使いにくいうえ、エグレス費用も重なるためである。

Q3. Barclaysの86%という数字はどこまで信じてよいのか。
回答企業の割合であり、全ワークロードに占める回帰量ではない。実際の判断材料には、Broadcom調査のような用途別・比率別のデータを合わせて見る必要がある。

まとめ

AI推論の常時稼働コストとエグレス費用は、クラウド一辺倒の設計を見直す実務上の圧力になっている。Barclaysの86%やBroadcomの56%対41%という数字は、企業の意図や用途別の実態を示す一方で、全ワークロードの移行規模を示すものではない。読者に求められるのは、稼働率とデータ量を基準にワークロードを棚卸しし、Gartnerが示す2026年末40%というハイブリッド構成の潮流を踏まえて、自社の配置判断を数値で更新することである。