Summary.
資格の再定義: 2026年のIT業界において、資格取得は知識の暗記ではなく、脳の処理能力(CPU/メモリ)を強化し、AIという「周辺機器」を使いこなすための基盤構築である。
現場の罠: 「現場で仕事ができれば資格は不要」という主張は、長時間労働以外の解決策を知らないブラックな体質と、特定の環境に依存するキャリアリスク(生存バイアス)を孕んでいる。
実務的価値: PMPは顧客への説明責任(ガバナンス)を担保し、個人の発言権とキャリアの「箔」を設計する武器となる。G検定はエンジニアとの共通言語を構築し、ビジネスの解像度を向上させる。
結論: 資格という「論理(Logic)」を実務の「実践(Design)」に掛け合わせることで、AI時代に飲み込まれない自律的なプロフェッショナル・キャリアが成立する。
「資格なんて取っても現場じゃ役に立たない。仕事ができればそれでいいんだよ」
2026年の幕開け。変化よりも「現状維持」という名の安定が尊ばれる職場の新年会などで、決まって聞こえてくるセリフだ。
正直に言おう。この言葉を聞くたびに、私は「ああ、この人は自分のキャリアを『詰む』可能性に気づかない、今が幸せな絶滅危惧種なのかもな」と、遠い目をしてしまう。
私は現在、三桁規模のエンジニア組織を統括している。日々「誰を評価し、誰を次のリーダーに据えるか」と考えながら、MBA取得のために戦略論を叩き込み、学生時代は数学科で「美しき論理(Logic)」に魅了されてきた。
そんな私が、年始早々、現場で定説のように語られる『資格なんて無意味』という主張の裏側にある矛盾を、ロジカルな観点から冷静に整理してみたいと思う。
1. 「資格より現場の実力」というエースが陥る、長時間労働とブラックの罠
まず議論の俎上に載せたいのは、「資格より実力」を錦の御旗にする、現場至上主義の方々だ。 誤解しないでほしいのだが、こうした主張をする人たちは、往々にして「仕事ができる」。
彼らは現場の規定を隅々まで熟知し、叩き上げの技術で複雑なコマンドを淀みなく打ち込み、気難しい顧客の懐に入る術も心得ている。現場においては間違いなく「頼れるエース」だ。しかし、この「現場限定の有能さ」こそが、組織を静かにブラック化させる毒素を含んでいることに、彼らは気づかない。
なぜ、彼らのいる現場は長時間労働が常態化するのか。 理由はシンプルだ。彼らは「今、目の前の問題を解決する手札」は持っているが、「問題を構造から消し去るための次世代の知見」を持っていないからだ。
資格試験の勉強を通じて得られるのは、単なる用語の暗記ではない。他社の成功事例、最新の効率化フレームワーク、あるいは技術のトレンドといった「外の世界のロジック」だ。しかし、現場の「実力」に安住する人々は、こうした外部情報のアップデートを「現場じゃ使えない」と切り捨てる。
結果として、彼らがトラブルに直面したとき、選べる解決策は一つしか残らない。「気合と長時間労働」による力押しだ。
「勉強」という知的投資を怠り、地頭の良さに頼って現場を回し続ける彼らは、より洗練された「仕組み(Design)」による効率化を知らない。彼らにとって、プロジェクトの火を消す手段は、バケツを持って走り回ることであり、スプリンクラーの設置(組織設計)ではないのだ。
多くのメンバーを預かる立場から見れば、彼らは非常に優秀な「兵士」ではあるが、次世代の組織を「設計(Design)」する軍師にはなり得ない。
「特定の環境でしか機能しないコマンド」をどれだけ覚えても、それは市場価値という名のOSをアップデートすることにはならない。
彼らが「俺は仕事ができる」と胸を張るその影で、組織が疲弊し、古いやり方に固執する「ブラックな膠着状態」が生まれている。
2. 「G検定は意味ない」は本当か?生成AI時代に「脳のCPU」を磨くための学習設計
次に触れたいのは、「AIを使いこなさなければ」と殊勝に危機感を抱き、日々ネットの表層をなぞるような情報収集に励んでいる方々だ。
彼らは、プロンプトの小技を磨くことに重きをおいているが、G検定のような基礎理論が多い試験勉強を「実務に直結しない教養ごっこ」だと切り捨ててしまう。
だが、その実態は私から言わせると「マザーボードのスペックが低いのに、最新のゲーミングマウスだけを買い揃えて喜んでいるPC」だ。
G検定で学ぶような機械学習の基礎、ディープラーニングの構造、統計的な評価指標。これらは直接コードを書くためのものではない。「脳のCPUとメモリ」を増設するためのものだ。
AIが吐き出した答えが「なぜ、その方向にバイアスがかかっているのか」を察知できるか。
ニュースで「新たなアーキテクチャが登場した」と聞いた時、それがトランスフォーマーの進化なのか、それとも全く別のアプローチなのかを構造的に理解できるか。
この「基盤となる知識」がない人間がAIを使いこなそうとしても、それは「周辺機器」をガチャガチャと弄っているだけで、情報の処理能力(バス幅)は一向に上がらない。
G検定の勉強を「無意味なワードの暗記」と捉えている時点で、彼らのインプットの解像度は、30年前のモニター並みに低いと言わざるを得ない。
3. PMPは現場で役に立つのか?顧客への説明責任と「個人の発言権」を手に入れる武器としての価値
そして、私が最も愛着があり、かつ最も誤解されていると感じるのが「PMP(プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)」だ。
「PMBOKの通りに進むプロジェクトなんてない」「現場はもっと泥臭いんだ」 そんな声が、どこからともなく聞こえてくる。
あえて言おう。あなたが「PMPは使えない」と感じているのは、あなたの見ている世界が「狭すぎる」からだ。
3人や5人のチームで、昨日今日始まったような小規模な開発をしているなら、確かにPMPは大仰すぎるかもしれない。だが、私が統括する規模の組織や、数億、数十億が動くエンタープライズ案件では話が全く変わってくる。
顧客は、あなたの「熱意」や「勘」に金を払っているのではない。彼らが買っているのは、「万が一の際にも、社内や株主に説明がつく正当性」だ。
大規模案件になればなるほど、顧客側の担当者もまた、説明責任(アカウンタビリティ)という重圧にさらされている。「なぜこの会社に発注したのか」「プロジェクトの品質をどう担保しているのか」という問いに対し、「彼らはPMP保持者を擁し、国際標準に基づいた管理教育を徹底している会社だからです」という回答は、彼らにとっての強力な「防御魔法」になる。
だが、ここで強調したいのは、会社のためだけではない。あなた個人にとっての「最強の矛」としての価値だ。
現場でプロジェクトが雑に進んでいたり、特定の誰かの「勘」で無謀なスケジュールが組まれたりしたとき、資格のない人間の指摘は単なる「不平不満」として処理される。しかし、PMPという共通言語を装備していれば、あなたの言葉は「組織のガバナンスに基づいた論理的な是正勧告」へと昇華される。
「私はこう思う」ではなく、「標準的なプロジェクトマネジメントの観点から見て、このプロセスには致命的なリスクがある」と口出しできる権威。これがあるだけで、現場の混乱に飲み込まれず、自分の意志でプロジェクトをコントロールする「主導権」を握れるようになる。
さらに言えば、キャリアにおける「箔(はく)」だ。 IT業界において、現場で手を動かせる人間は五万といる。だが、「プロジェクトの構造を設計し、説明責任を果たせる人間」は常に枯渇している。PMPというライセンスは、あなたが単なる「作業員」ではなく、一段高いレイヤーで「ガバナンスをデザインできる人間」であるという市場への強力なシグナルだ。
「PMPを持っているから安心」などというお花畑な話ではない。 「PMPという論理(Logic)を盾に、理不尽な現場に口出しをし、自身のキャリアに圧倒的な箔を付ける」。この個人の生存戦略が見えていないのは、あまりにも現場の「作業」に没頭しすぎている証拠だ。
4. IT管理職の本音:部下の資格を評価する理由と「職人系」のキャリアリスク
私が仕事の現場で、PMPやG検定などの資格を重視する理由は、知識そのものよりも「その人の脳の回路」にある。
資格を取ろうとする人は、自分の意志で、今の自分に負荷をかけている。
AIという便利な「外付けハードディスク」に頼り切らず、自前の「内蔵メモリ」にデータを蓄積し、サビついた「CPU」を回し続けている。
この「自力でスペックアップし続ける意志」こそが、不確実なIT業界において最も信頼に値する資質だ。
逆に、「資格なんて不要」と豪語する職人系の人々は、知らぬ間に自分の脳を退化させている。外部のツール(AIや特定の社内システム)がなければ何もできない、依存体質の人間になっていく。
それは、PCで言えば「内部ストレージがゼロで、クラウドが切れたら起動すらしない端末」と同じだ。
5. 結論:2026年、資格という「論理の地図」を持って自由なキャリアをデザインせよ
結局のところ、資格なんてものは単なる「プラスチックのカード」に過ぎない。
だが、そのカードを手に入れるまでの「必死の勉強」を実務という現場に持ち込んだとき、それは「負けないための型(ロジック)」に変わる。
理論(資格) × 実践(現場) = 生き残るための専門性
かつて数式に没頭し、今は経営の現場で意思決定を繰り返している私が確信していることが一つある。
それは、「勉強という、一見コスパの悪そうな努力」を継続できる人間だけが、AIという巨大な荒波を乗りこなす「船長」になれるということだ。
「資格なんて意味ない」と強がりながら、今日も誰かが決めたルールの上で、終わりのない力仕事に明け暮れる人生。それはそれで一つの選択かもしれない。
だが、自分の脳というエンジンを磨き直し、世界標準の武器(資格)を手に、自分自身でキャリアをデザインしていく人生の方が、圧倒的に面白いとは思わないだろうか。
2026年。新しい年が始まった。 もしあなたが、自分のことを「現場のプロ」だと自負しているなら、なおさらだ。 その「長年の勘」という、いつ折れるかわからない古い剣を、一度「論理」という名の砥石で研ぎ直してみてはどうだろう。
正直に言えば、私だって勉強は面倒だし、試験の直前はいつも勉強不足だったかと後悔している。
それでも、仕事で出会う人と共通の言語を持ち、論理(Logic)を武器にして現場をデザインしていけるのは、最高にワクワクすることだ。
サビついた回路を回し続けるのは楽じゃない。けれど、そうやって自分の限界を少しずつ広げていこうとする人たちと一緒に、このカオスなIT業界を面白がっていきたいと思っている。