人口転換とマルサスの罠:アジアの人口史から読む開発経済学

人口転換とマルサスの罠:アジアの人口史から読む開発経済学
ダッカの路上に並ぶサイクルリクシャ
バングラデシュの首都ダッカに並ぶリクシャ。第1回の講義動画も、こうした南アジアの街頭風景から始まる。写真:Nasir Khan Saikat/Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)

人口が増えるとき、経済は豊かになるのか、それとも貧しくなるのか。開発経済学はこの問いから出発する。本稿は放送大学「開発経済学:アジア社会の変容(’24)」第1回「人口転換」(約51分)の内容を、講義で示された図表をもとに描き直した図とあわせて再構成したものである。

全15回の講義は3部構成で、第1部(第1〜5回)は人口と経済発展の関係を切り口に開発経済学の基礎を扱う。第1回はその入口で、次の6つの節からなる。

  1. 世界人口の長期的推移
  2. 人口転換
  3. 人口増加の第1期:多産多死
  4. 人口増加の第2期:多産少死
  5. マルサスの罠からの離脱
  6. 出生率の低下

全体を貫く主張は一つにまとめられる。出生率と死亡率のあり方は経済発展の段階によって変わり、その変わり方が逆に経済発展の成否を左右する。

目次

1. 世界人口の長期的推移

人類史の大半、世界人口はほとんど増えなかった。急増が始まるのは19世紀である。講義で示された国連推計は「21世紀末に約110億人で停滞」だったが、最新の推計では2080年代に約103億人でピークを迎える(第8節)。人口という物差しで測れば、19〜21世紀は人類史で例外的な3世紀であり、私たちはその真っ只中にいる。

世界人口が2倍になる期間は300年から37年に縮んだ
講義スライド「世界の人口規模の推移」(UN Population Division)と講義で示された数値から作図。西暦0年は図からの読取値

増加の速さは倍増期間で見ると分かりやすい。1500年の4〜5億人が10億人になるまで300年かかったが、1950年の25億人が50億人になるのには37年しかかからなかった。この時期がいわゆる人口爆発で、人口が増えればその分の食糧増産が必要になる。この食糧との張り合いが、以降の議論の軸になる。

人口増加は特定の地域から始まった

17〜18世紀に人口増加が目立ったのは次の4地域で、いずれも社会の安定と農業生産の増加が背景にある。

地域増加の背景その後
西欧農業の技術革新産業革命で経済発展に成功
インド北部(ガンジス川流域・ヒンドゥスターン平野)ムガル帝国第3代アクバル以降の安定経済の離陸に失敗
中国清朝中期以降の水田技術の普及経済の離陸に失敗
日本江戸前期の安定と新田開発経済の離陸に失敗

同じように人口を増やしながら、テイクオフできたのは西欧だけだった。その理由は第11回で扱われる。

参考動画:米国自然史博物館「Human Population Through Time」

人口増加の地域差をつかむために、講義で参考資料として紹介された動画である(2023年更新版、約6分)。世界地図の上に点で人口を描き、現生人類の誕生から現在までの増加を、どの地域で起きたかといっしょに見せる。初期版では点1つが100万人を表していた。

動画が示す流れを、年代ごとにまとめると次のとおりである(AMNHの動画ページより)。

時期世界人口動画が示すこと
約30万年前―現生人類がアフリカで誕生。約10万年前から世界へ移動を始める
紀元前1万年ごろまでおそらく100万人未満狩猟採集の時代はほとんど増えない
紀元前1万年〜増加に転じる農耕の開始で人口が増え始める
紀元1年約1億7,000万人漢、ローマ帝国、インドに人口が集中する
14世紀一時減少ペスト(黒死病)。動画では世界人口が減ったほぼ唯一の時期として描かれる
18世紀後半〜急増産業革命以降、技術と医療の進歩で増加が加速する
2023年80億人10億人には人類史のほとんどを要したが、80億人までは200年あまりで達した
今世紀中約103億人でピーク(予測)1人の女性が産む子どもの数は1950年の約5人から2100年には約2人へ下がるという予測を掲げる

講義と重ねて見ると、次の3点が読み取れる。

  1. 人口は昔からアジアに偏っていた。紀元1年の時点で、漢とインドはローマ帝国と並ぶ人口の中心だった。上の表にある北インド・中国・日本・西欧の増加は、もともと人口を抱えていた地域での上乗せである。
  2. 食糧の制約を上回る力は、疫病という形でも現れた。ペストによる減少は、第4節で扱うマルサスの議論とは別の、死亡率側からの人口の調整である。
  3. 最新版の結論は第8節の国連推計と一致する。動画も今世紀中の約103億人をピークとしており、講義の「110億人」より新しい見通しに立っている。

今の人口増加は低所得国の現象である

1950年を基準に2020年までの伸びを比べると、所得水準による差は一目瞭然である。20世紀後半の人口爆発は、主に低所得国で起きている。

70年で低所得国の人口は約6倍、高所得国は2倍弱
講義スライド「人口増加指数(1950=1)」と講義の説明から作図。途中経路は省略し始点と終点のみ

人口を縦軸、時間を横軸にとると、人口増加はS字の曲線を描く。低所得国は傾きが最も急な位置、中所得国はまだ増加中の位置、高所得国は頭打ちの位置にある。中国は所得では上位中所得国だが、曲線上はすでに高所得国と同じ頭打ちの位置にあり、2022年に人口減少に転じた。この曲線上の位置によって、人口増加は経済発展の追い風にも足かせにもなる。

2. 人口転換:3つの時期

人口転換は「人口転換論」と呼ばれることもあるが、理論というより歴史的に観察された事実の記述である。縦軸に出生率と死亡率、横軸に時間をとると、社会は3つの時期を経ていく。

死亡率が先に下がり、出生率が遅れて下がる間に人口が増える
人口転換の概念図 · 講義スライド「人口転換 歴史的事実」をもとに描き直し

経済発展が始まると、栄養・医療・衛生水準の改善で死亡率が先に下がる。出生率は結婚や出産の社会規範に縛られているため、高いまましばらく残る。両者の差が人口増加率であり、このタイムラグが第2期の人口増加を生む。やがて出生率も下がり、死亡率と一致したところで第3期に入る。

日本の人口転換

日本の実際の推移を重ねると、概念図どおりの形が現れる。

日本の出生率は1920年代に下がり始め、2005年前後に死亡率と交差した
1920年以降は人口動態統計の公表値、1920年以前は講義スライド(佐藤・金子 2015「ポスト人口転換期の日本」)の図からの読取値(概数)
  • 明治期に入ると死亡率が少しずつ下がり始め、出生率は高いまま維持された。この時点で日本は第2期に入っている。
  • 1918〜20年の死亡率の跳ね上がりはスペインかぜによる。約40万人の日本人が犠牲になったとされる。
  • 出生率の低下が始まるのは1920年代である。第二次世界大戦中に死亡率が上昇し、終戦後はその反動で第1次ベビーブームが起きた。戦中・戦後の人口動態は、今も人口ピラミッドに刻まれている。
  • 1966年の落ち込みは丙午(ひのえうま)で出産が控えられたためである。丙午は60年周期で、前回は1906年、次は2026年にあたる。
  • 1970年前後に第2次ベビーブームがあり、その後出生率は下がり続ける。今世紀に入って出生率と死亡率が一致し、日本の第2期は終わった。

3. 第1期 多産多死:生存のための規範

第1期の社会は、産まなければ消え、産みすぎれば飢えるという両側からの圧力の下にあった。江戸期以前の日本を思い浮かべると分かりやすい。

特徴は2つある。一つは、人々が最低生存水準(MSL:Minimum Subsistence Level)で暮らしていること。MSLは単なる貧困ではなく、生物として生存がぎりぎり可能な食糧しか得られない状態を指す。もう一つは、乳幼児死亡率の高さである。衛生水準が低く肺炎・下痢・マラリア・コレラが多発し、栄養失調に近く、医師も薬も足りない。かつてインドの村で行われた調査では、どの村にもコレラ患者が1、2人いた。

第1期は「産め」と「増やすな」が同時に働き、人口はほぼ横ばい
第1期の人口を決める力 · 講義第3節の内容から作図

外生的な理由で子どもが亡くなる以上、そのままでは社会が縮小し、最悪の場合は消滅する。そこで社会は、早婚で世代の回転を速め、子だくさんの女性を褒める規範をつくった。その裏返しとして、妊娠しない女性を「石女(うまずめ)」と蔑み、離縁の理由にもした。男性側の原因は顧みられなかった。

一方で、食糧の需給を超えて人口が増えることも危険だった。双子は想定外の口減らしの対象として「忌み子」とされ、嬰児殺しは世界各地にあった。インド側のチベット文化圏ラダックでは、中心地レーが標高約3,700m、さらに上の約4,000mの小さな村に不釣り合いな大僧院がある。長男は家に残し、次男以降を僧侶にする。僧侶は結婚しないため人口は増えない。過酷な環境に社会が適応する手段として、宗教が機能している。

ラダックのラマユル僧院
ラダックのラマユル僧院。乾いた高地の小さな集落に、不釣り合いなほど大きな僧院が建つ。講義で紹介された僧院とは別の場所だが、景観は近い。写真:Bernard Gagnon/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

家計の側にも多産を選ぶ合理的な理由があった。男性優位で相続権が男子にしかない社会では、女子が何人いても老後の保障にならず、男子が生まれるまで産み続ける。稲作は田植えと収穫に労働のピークがあり、日本でも1960年代初めまでは農繁期に小中学校が休みになった。映画『となりのトトロ』でサツキが「田植え休校」と言う場面は、まさにその時代の姿である。

4. 第2期 多産少死とマルサスの罠

経済発展で死亡率が下がっても出生率は高いままなので、人口は増える。この人口増加を経済と結びつけ、「持続的な経済発展はありえない」と論じたのが、イギリスの古典派経済学者マルサス(1766〜1834)である。

トマス・ロバート・マルサスの肖像
トマス・ロバート・マルサス(1766〜1834)。ジョン・リネルの肖像画による版画。出典:Wellcome Collection/Wikimedia Commons(CC BY 4.0)
食糧が増えても人口がそれを上回り、一人当たり食糧はMSLに戻る
マルサスの罠の仕組み · 講義第4節の内容から作図

経済発展でパイが大きくなっても、それを上回る速さで人口が増えれば、一人当たりの取り分は縮む。食糧の伸びが鈍る理由は、当時の食糧増産の手段が農地を広げることしかなかった点にある。初めは肥沃な土地を使い、やがて生産性の低い土地へ広げざるを得なくなる。これを農地の外延的拡大と呼ぶ。

江戸期の日本は罠にはまった

享保期から明治維新まで、日本の人口は3,100万〜3,300万人で止まった
講義スライド「日本の経験(江戸期)」(国土庁・総務省統計局・社人研)の表示値から作図。享保期(1716〜45年)は1730年に、ピークは2008年に配置

中世までの村は大河の流域ではなく、山間の盆地にあった。大河の流域は洪水が起きて耕作に向かず、盆地では赤米(インディカ種)が中心だった。江戸期に入ると社会が安定し、治水技術が発達して平野部で新田開発が進む。江戸方面に流れていた利根川を銚子方面へ付け替えた利根川の東遷が代表例で、矢作用水などの灌漑施設も整えられた。水環境が安定するとジャポニカ種が作付けされ、食糧生産が増え、人口も増えた。

利根川
現在の利根川。江戸湾に注いでいた流れを太平洋側へ付け替えた「東遷」で、関東平野の新田開発が進んだ。写真:Σ64/Wikimedia Commons(CC BY 3.0)

ところが江戸中期には外延的拡大が限界に達する。人口はなお増えようとし、一人当たり食糧が減っていく。結果として、享保期から明治維新までの約150年、人口は3,100万〜3,300万人でほぼ止まった。

罠への対策とその限界

対策内容限界
劣等地への外延的拡大棚田・段々畑を山の斜面に広げる低い生産性の土地しか残っていない
灌漑施設の建設村落共同体や幕府・藩が用水路を整備(見沼代用水、1728年)幕府の財政難で十分な公共事業ができない
品種改良老農(中小地主)が生産性の高い「老農品種」を作る。人口圧力の高い近畿や佐賀が中心藩が技術を外に出さず、全国に広がらない

棚田については、清の政治家李鴻章の「耕して天に至る、もって貧なるを知るべし」という言葉がある。清朝後期に水田技術が発達して人口が急増し、中国も罠にはまった。日本でも棚田が多いのは人口圧力の高かった西日本で、東北ではあまり見られない。ジャワ、中国南部、ベトナムの山間部に広がる美しい棚田は、人口圧力の下で少しでも農地を広げようとした人々の痕跡でもある。

石川県輪島市の白米千枚田
石川県輪島市の白米(しろよね)千枚田。海に迫る斜面に小さな田が積み重なる。美しい景観は、平地に余地がなかった時代の農地拡大の痕跡でもある。写真:Asturio Cantabrio/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

対策は不十分で、江戸中期以降の暮らしは過酷になった。

  • 享保の改革(1716年〜)で幕府は財政再建を図り、年貢率は四公六民から五公五民に上がった。
  • 嬰児殺しや姥捨ての慣行が広がり、生産に従事しない子どもと老人が社会から排除された。英領インドのベンガル飢饉(1943〜44年)の記録でも、家計はまず幼児、次に老人への食糧配分を減らし、生産年齢の人口を守った。
  • 農地の分割で年貢が取れなくなるのを避けるため、長子相続が一般化した(第2部で再び扱われる)。

個人の存在に絶対的な価値を置く価値観は、せいぜいここ200〜300年のものである。それ以前の社会では、個人より共同体の存続に高い価値が置かれていた。

5. マルサスの罠からの離脱:イギリスと日本

マルサスの予言に反して、罠を抜けて先進国になった国は多い。イギリスと日本を並べると、抜け方の構造は驚くほど似ている。どちらも「土地生産性の引き上げ」「外からの食糧」「人の送り出し」の3つを組み合わせている。

押し下げた要因イギリス日本(明治以降)
土地生産性の上昇産業革命に先立つノーフォーク農法藩の壁がなくなり老農品種が全国に普及
外からの食糧新大陸から安価な小麦が流入植民地(朝鮮半島・台湾)から米を移入
人の送り出し新大陸への移民。初期はアイルランドやウェールズからハワイ・北米、排斥後は中南米。北海道への拓殖移民
その後出生率が下がり、食糧への人口圧力が低下同じく出生率の低下へ

イギリス:「産業革命」は農業から始まった

Industrial Revolutionを何も知らずに訳せば、工業革命としたくなる。しかし実際には、ノーフォーク農法による食糧増産が先にあり、その上に工業化が起きた。農業を含む産業全体の革命という意味で、「産業革命」という訳語は的を射ている。

チャールズ・タウンゼンドの肖像
第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンド。政界引退後にノーフォークの領地でカブを使う輪作を広め、「カブのタウンゼンド」の異名で知られる。ゴドフリー・ネラーの肖像画に基づく作品。出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

移民の送り出し元は、農地の比較的豊かなイングランドではなく、山がちで人口の吸収力が低いウェールズやアイルランドだった。新大陸に渡った移民が小麦を作り、その安い小麦がヨーロッパに戻って食糧需給を改善した。その間に出生率が下がり始めた。マルサスがこれを見通せなかったのは、彼の生きた時代にはまだ出生率の低下が起きていなかったからである。

日本:土地生産性の頭打ちを植民地が埋めた

明治に入ると藩の壁がなくなり、一種のグローバリゼーションとして老農品種が全国に広がった。だがその効果は1920年ごろには一巡し、穀物需給は逼迫する。1918年の米騒動はその象徴であり、このままなら日本は再び罠に囚われていた可能性がある。

日本の米収量は1920年ごろに頭打ち、植民地の収量は1930年代に伸びた
講義スライド(速水佑次郎『開発経済学―諸国民の貧困と富』講談社)の図から読み取った概数。原図は片対数目盛。フィリピン(1950〜70年)の系列は省略

日本は朝鮮半島と台湾を食糧基地と位置づけた(植民地からなので輸入ではなく移入と呼ぶ)。朝鮮半島には気候の近い東北の品種「旭」を移植した。温暖でジャポニカ種が育ちにくい台湾では、ジャポニカ種とインディカ種をかけ合わせた「蓬莱米」を開発した。帝国統計によると、ピーク時には近畿や北九州の米消費量の半分近くを移入米が占めた。

移民も大きかった。ハワイや北米に渡った移民は、アメリカで日系排斥運動が起きるとペルーやブラジルに向かった。送り出し元は広島や岡山など人口圧力の高い西日本である。国内に残ったフロンティア、北海道にも拓殖移民が入り、出身地の名が北広島市や新十津川町といった地名に残っている。天草地方などから東南アジアへ渡った「からゆきさん」も、この時代の不幸な事実として記憶されている(山崎朋子『サンダカン八番娼館』1972年)。

笠戸丸の乗船者たち
1908年、最初のブラジル移民船「笠戸丸」の乗船者。出航前に日本で撮影された。出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

今日の途上国に残された道

英日の手段を今日の途上国に当てはめると、使えるものはほとんど残っていない。植民地は作れず、新大陸もない。移民はある程度可能だが、急増する人口を減らすほどの効果は疑わしい。農地の外延的拡大も難しい。残るのは土地生産性の上昇だけで、それが次回「緑の革命」の主題になる。

6. 出生率の低下:子どもを持つコストとベネフィット

第2期の途中から出生率が下がるのは、子どもを持つことのベネフィットが減り、コストが増えるからである。出産の意思決定は家計が行うので、経済合理的な判断として子どもの数を控える向きに動く。

項目経済発展の前経済発展の後
ベネフィット:老後の保障頼れるのは子どもだけ年金など公的社会保障が整い、所得上昇で貯蓄も増える
ベネフィット:労働力農繁期の担い手農業の機械化が進み、農業自体も主要産業ではなくなる
コスト:教育費教育が普及しておらず小さい大学まで進むと多額。子ども2、3人なら家計を圧迫する
コスト:住宅費小さい子どもが多いほど広い家が要る
コスト:機会費用小さい女性の社会進出が進むほど、出産・育児によるキャリアの中断が高くつく(第3部で扱う)

重要なのは、この変化の速さが国と時代で違う点である。現在の途上国では、日本が経験した以上の速さで教育が普及している。そのため教育費が早い段階で家計の重荷になり、出生率の低下も速い。人口転換の道筋は同じでも、それが経済に与える影響は日本とは異なるスピードで現れる(第3回で詳述)。

小学校の教室の机に掛けられたランドセル
日本の小学校の教室に並ぶランドセル。子どもが「働き手」から「教育投資の対象」に変わったことが、出生率低下の背景にある。写真:ajari/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

7. まとめと考察

人口転換の3つの時期では、出生率と死亡率を動かす要因がそれぞれ異なる。

時期出生率と死亡率動かしている要因
第1期ともに高い栄養・衛生・医療水準の低さ。それを補う早婚・多産の規範
第2期死亡率が先に低下、出生率は遅れて低下経済発展の開始と、規範の慣性によるタイムラグ。この間が人口増加期
第3期出生率が死亡率の水準まで低下児童労働・老後の保障・教育費・女性の労働参加によるコストとベネフィットの変化

講義の主張は、この時期の違いが経済発展に影響するという一点に集約される。以下は講義内容を踏まえた筆者の考察である。

考察1:人口増加は「遅れのあるフィードバック」の産物である

第2期の人口増加は、死亡率の変化に出生率が追従するまでの遅れから生まれる。第1期の規範は「多くの子どもが亡くなる」という前提への合理的な適応だったが、前提が変わった後もしばらく残り続ける。制御工学でいえば、入力の変化に対して出力の応答が遅れる系であり、遅れが長いほど一時的な乖離(ここでは人口増加)が大きくなる。人口増加の大きさを決めるのは死亡率の低下そのものより、規範が更新されるまでの時間だと考えられる。

考察2:英日は「外部に逃がし弁」を持っていた

英日どちらも、罠からの離脱は国内の生産性向上だけでは成し遂げられていない。新大陸や植民地という外部の土地から食糧を得て、余剰人口も外部に送り出した。いわば人口圧力の「逃がし弁」があった。今日の途上国にはこの逃がし弁がなく、土地生産性の上昇一本で勝負するしかない。次回の「緑の革命」は、その一本の道がどこまで有効だったかを問う回になるはずである。

考察3:今年は丙午である

講義で触れられたとおり、2026年は丙午にあたる。1966年には出生率が前年の18.6‰から13.7‰へ落ち込んだ。出生率がすでに低く、迷信の影響力も弱まった今、同じ規範がどれだけ残っているかは、今年の出生統計で確かめられる。その答え合わせは第8節にまとめた。上半期の速報では出生数はむしろ増えており、規範には慣性がある一方で、60年で消えることもあると分かる。

8. 最新データで講義を更新する

講義の骨格は今も有効だが、数字はこの2年で大きく動いた。特に「世界人口は110億人で停滞」という前提は、国連の最新推計で下方修正されている。

用語の補足:「出生率」は2種類ある

第8節以降で使う出生率は、講義(第2節の日本の図)の出生率とは別の指標である。講義には置換水準という概念も登場しない。

指標意味単位と例主に使う場面
出生率(普通出生率)人口千人当たりの1年間の出生数‰。日本の1966年は13.7講義の人口転換の図。死亡率と並べて人口の増減を見る
合計特殊出生率1人の女性が生涯に産む子どもの数(その年の年齢別の出生率を合計したもの)人。日本の2025年は1.14第8・9・10節。国や時代を、人口の年齢構成の違いに左右されずに比べる

普通出生率は、若い人が多い社会ほど高く出る。合計特殊出生率は年齢ごとに計算するので、その偏りがない。このため、国ごとの比較には合計特殊出生率が使われる。

置換水準は、親の世代と同じ人数の子の世代を残せる合計特殊出生率のことである。この水準が長く続けば、人口は長期的に増えも減りもしない。夫婦2人を置き換えるには子ども2人で足りるはずだが、次の2点の補正が入る。

  • 出生時は男児が女児よりやや多い(女児100に対して男児約105)。次の世代を産むのは女性なので、その分を上乗せする。
  • 生まれた女児の一部は、出産年齢に達する前に亡くなる。その分も上乗せする。

置換水準 ≈ (1 + 出生性比) ÷ 女児が出産年齢まで生き残る確率 = (1 + 1.05) ÷ 0.98 ≈ 2.09

死亡率の低い国では約2.1になる。乳幼児や若い女性の死亡率が高い国では分母が小さくなり、置換水準は2.1より高くなる。講義の第1期のように乳幼児死亡率が高い社会では、置換水準そのものが高く、多産の規範はそれを満たすための仕組みだったとも解釈できる。

なお、合計特殊出生率が置換水準まで下がっても、人口はすぐには止まらない。出生率が高かった時代に生まれた人数の多い世代が親になっている間は、出生数が死亡数を上回り続けるためである。これを人口モメンタム(人口の慣性)と呼ぶ。講義の第3期(普通出生率と死亡率が一致する)は、合計特殊出生率が置換水準に達したあと、この慣性が尽きた状態にあたる。

世界人口:110億人ではなく、約103億人でピークを迎える

国連の「World Population Prospects 2024」によると、世界人口は2024年の約82億人から増え、2080年代半ばに約103億人でピークを迎える。2100年には約102億人とわずかに減る見通しで、これは2013年時点の推計より約6%(約7億人)少ない。講義の「今世紀末に約110億人」は、この下方修正前の推計だと考えられる。下方修正の主因は、中国をはじめとする出生率の想定以上の低下である(報道)。

  • 人口がすでにピークを越えた国・地域は63で、世界人口の28%を占める。中国、日本、ロシア、ドイツが含まれる。
  • 世界の合計特殊出生率は2024年で2.2。1960年代の約5、1990年の3.3から下がり続けている。
  • 237の国・地域のうち131(55%)が置換水準の2.1を下回り、その人口は世界の68%にあたる(UN DESA, World Fertility 2024)。

世界全体が、講義でいう第3期の入口に立っているといえる。

中国とインド:順位が入れ替わった

講義スライドにある「中国は2022年に人口減少」はその後も続いている。中国国家統計局によれば2025年の人口は14.05億人で、前年から339万人減った。4年連続の減少で、減少幅は前年より拡大した。出生数は792万人(2024年は954万人)に対し、死亡数は1,131万人に達した(NBC News)。一方インドは2023年4月に中国を抜き、世界最多の人口を抱える国になった(UN DESA)。第1節のS字曲線でいえば、中国は頭打ちを越えて下りに入り、インドはまだ上りの途中にいる。

日本:2026年の丙午は出生を減らさなかった

第2節で触れた丙午は、今年がその年にあたる。先に前提となる2025年の数字を確認する(厚生労働省、概数)。

指標2025年
出生数67万1,236人(10年連続で過去最少)
合計特殊出生率1.14(過去最低)
死亡数158万9,489人
自然減91万8,253人
婚姻数48万9,119組

出典:厚生労働省「令和7(2025)年 人口動態統計月報年計(概数)」、nippon.com

では2026年はどうか。1966年には出生数が前年比で25%減った。ところが2026年上半期の出生数(速報値)は34万2,068人で、前年同期比0.8%増となり、11年ぶりに前年を上回った。婚姻数も前年同期比0.2%増だった(nippon.com)。日本総研も、1月の速報が前年同月比0.5%増であったことから「丙午による出生減は見られない」と分析している(日本総研)。

ただし速報値は日本に住む外国人(約5%)を含む。また上半期の増加は、コロナ禍後に婚姻が持ち直した効果とも説明されており、「底打ち」と断定するには早い。それでも、60年前に出生を四分の一減らした規範が、今回は統計に表れないほど弱まっていたことは確かである。規範には慣性があるが、永久にも続かない。

韓国:世界最低水準の出生率が2年続けて上向く

韓国の合計特殊出生率は2023年の0.72を底に、2024年に0.75、2025年に0.80と回復した。2025年の出生数は25万4,500人で前年比6.8%増だった(Xinhua配信)。それでも置換水準の2.1とは大きな開きがあり、世界で最も低い水準にある。韓国は1950年には6を超えており、第1期から第3期をさらに突き抜けるまでを一人の人生より短い期間で経験したことになる。

9. 出生率の現在地:人口転換の「速さ」を比べる

第6節は「今の途上国では出生率の低下が日本より速い」で結ばれていた。その速さを数字で確かめると、アジアとアフリカの違いがはっきりする。

アジアの多くは置換水準2.1を割り、アフリカの2か国はなお4以上
国連 World Population Prospects 2024(2026年は推計値)。集計は StatisticsTimes.com(2026年3月19日更新)より。各国の最新の実績は推計と異なる場合がある(日本1.14・韓国0.80は2025年の各国統計、バングラデシュは国内調査で2.3〜2.4。第8節・第10節を参照)

読み取れることは3つある。

  1. アジアの多くは第3期に入った。1950年に6前後だった韓国・タイ・中国は、今や日本より低い。日本は1950年時点ですでに3.62と下がり始めており、「早く始めてゆっくり下がった国」といえる。
  2. 近隣国でも速さは大きく異なる。同じ南アジアでも、バングラデシュは2.09と置換水準に達したのに対し、パキスタンは3.44にとどまる。所得水準だけでは説明しきれない差であり、次節の事例でその理由を掘り下げる。
  3. サハラ以南アフリカはまだ第2期の只中にある。ニジェールは5.64、ナイジェリアは4.21。国連の推計でも、ナイジェリアやパキスタンは2054年以降も人口が増え続ける120超の国に含まれる。第1節の「人口増加は低所得国の現象」は、今後は「主にアフリカの現象」と読み替えるべきだろう。

10. 学びを深める3つの事例

講義の論点をそれぞれ裏側から照らす事例を選んだ。バングラデシュは「出生率の低下は政策で速められるか」、アイルランドは「マルサスの罠が現実に閉じたとき何が起きるか」、センの飢饉論は「飢饉は本当に食糧不足で起きるのか」という問いに対応する。

事例1:バングラデシュ ― 貧しいままでも出生率は下がる

バングラデシュの合計特殊出生率は、国内の調査では1975年の6.3から2000年ごろに3.3、2011年には2.3まで下がった。その後は2.3で横ばいが続き、2025年12月公表の最新調査では2.4だった(Prothom Alo、2026年7月)。世界銀行は2020年を2.0としているが(世界銀行ブログ)、これは国際機関の推計値で、国内調査とはずれがある。低下が始まった1970年代前半の一人当たり所得は100ドル程度で、世界で最も貧しい国の一つだった。第6節のコストとベネフィットの論理では、所得が上がり社会保障が整って初めて出生率が下がるはずだ。その両方が十分でない段階での低下は、別の要因が働いたことを示している。

世界銀行は次の取り組みを挙げている。

  • 1971年の第1次五カ年計画から人口政策を組み込んだ。
  • 1977年のマトラブ計画で、地域出身の女性保健員が各家庭を定期訪問する「女性から女性へ」の方式を確立し、全国の家族計画に広げた。
  • イマーム(イスラム指導者)の研修を通じて、宗教的指導者が家族計画を正当化した。
  • 1990年代半ばから、女子中等教育の奨学金制度を導入した。出席・成績に加えて「未婚であること」を支給条件にし、女子の中等教育就学が約3倍になり、早婚が減った。

講義の枠組みに当てはめると、奨学金の「未婚」条件は第1期の早婚規範に直接働きかけ、女性保健員と宗教指導者は規範そのものを書き換える役割を果たした。第2期の長さを決める「規範の慣性」を、政策で短くした事例といえる。ただし、家族計画と女子教育のどちらが主因かについては研究者の間で議論がある。第9節のチャートで同じ南アジアのパキスタンが3.44にとどまるのと比べると、政策の差の大きさが分かる。

ダッカの女子校ヴィカルンニサ・ヌーン・スクールの正門
ダッカの女子校ヴィカルンニサ・ヌーン・スクール・アンド・カレッジの正門。女子の中等教育の普及は、早婚の規範を内側から変える。写真:Salim Khandoker/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

事例2:アイルランド大飢饉 ― イギリスの「逃がし弁」の裏側

第5節で、イギリスから新大陸への移民は初期にアイルランドやウェールズから出たと説明された。そのアイルランドでは、1845〜52年にマルサス的ともいえる大飢饉が起きている(Wikipedia「Great Famine (Ireland)」)。

項目数字
1841年国勢調査の人口817万5,124人(飢饉直前は約850万人)
死者約100万人(推計には77.5万〜150万人の幅)
移民1845〜55年に少なくとも210万人
人口の減少1841〜71年に20〜25%
1901年の人口約440万人

飢饉前のアイルランドでは、300万人以上がジャガイモだけに依存していた。特定作物で人口を増やした社会が、その作物の病害で一気に崩れた。ただし同じ記事は、飢饉のピーク時に小麦の輸入が輸出の4倍あったことも伝えている。当時すでに、マルサスの説明は単純すぎるとされ、資本投下の不足を問題にする見方もあった。講義でイギリスの「成功」として扱われた移民には、こうした悲劇が重なっていた。日本の「からゆきさん」と同様に、「逃がし弁」のコストを誰が負ったかという視点で読み直すとよい。

ダブリンの飢饉記念像
ダブリン・カスタムハウス埠頭の飢饉記念像。やせ細った人々が、移民船の出た港の方角へ歩いていく。写真:Joseph Mischyshyn/Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)

事例3:センの飢饉論 ― 飢饉は「食糧の量」だけでは起きない

第4節では、ベンガル飢饉(1943〜44年)で家計が幼児と老人の配分を先に削ったことが紹介された。この飢饉を経済学的に分析したのが、ノーベル経済学賞を受けたアマルティア・センの『貧困と飢饉』(1981)である(解説)。

アマルティア・セン
アマルティア・セン(2000年ごろ)。ベンガル出身で、1943年の飢饉を少年時代に目の当たりにした。出典:Wikimedia Commons(Flickr Commons由来、既知の著作権制限なし)
  • ベンガルの1943年の食糧供給は、飢饉のなかった年と比べて大きく落ちておらず、1943年の収穫は1941年より多かった。
  • それでも約300万人が亡くなった。戦時インフレ、都市向け食糧調達、投機的な買い占めで米価が賃金をはるかに上回り、農業労働者や漁民、職人が食糧を買えなくなった。
  • センはこれを、食糧を手に入れる「権原(エンタイトルメント)」の崩壊として説明した。ただし、ベンガルの供給データの読み方には反論(供給減少はもっと大きかったとするボウブリックら)もある。

マルサスは「一人当たりの食糧」を平均値で考えた。センは、同じ量の食糧があっても誰がそれを買えるかという分配の問題で、生死が分かれることを示した。「一人当たり食糧がMSLに戻る」という第4節の図式は、平均値の話であることを意識しておくとよい。放送大学の講義でも第8回「生存の保障」でこの視点が再び関わってくる可能性が高い。

この回の理解を深める本

本文で触れたセンの古典。飢饉を食糧の総量ではなく、人々が食糧を手に入れる力(権原)の崩れとして説明する。

講義スライドの図の出典。人口・農業・工業化を一つの枠組みで論じる開発経済学の教科書。

参考

  • 放送大学「開発経済学:アジア社会の変容(’24)」第1回「人口転換」講義動画・視聴メモ
  • 講義内で紹介された資料:米国自然史博物館「Human Population Through Time(2023年更新版)」(動画ページ)、速水佑次郎『開発経済学―諸国民の貧困と富』講談社、佐藤龍三郎・金子隆一(2015)「ポスト人口転換期の日本」『人口問題研究』71(2)、山崎朋子『サンダカン八番娼館』
  • 図はすべて講義スライドの図表をもとに描き直したもの。図から読み取った数値は概数である

第8〜10節で参照した最新資料

このシリーズの記事

放送大学「開発経済学:アジア社会の変容(’24)」の全15回を、1回1本の記事にまとめている。

  1. 第1回 人口転換とマルサスの罠:アジアの人口史から読む開発経済学(この記事)
  2. 第2回 リカードの罠と緑の革命:アジアの食糧史から読む工業化の条件
  3. 第3回 人口ボーナスの終わり:アジアの人口ピラミッドから読む成長と衰退
  4. 第4回 食糧問題から農業問題へ:日本とアジアの農工間格差を読む
  5. 第5回 輸入代替か輸出指向か:アジアの貿易収支から読む工業化戦略
  6. 第6回 共助の経済:村落共同体から読むアジア社会の多様性
  7. 第7回 共同行為の条件:村落共同体から読む共有資源・灌漑・援助
  8. 第8回 自助・共助・公助:アジアの村から読む生存の保障
  9. 第9回 共同体の三類型:モンスーン・アジアの生態と歴史から読む開発政策
  10. 第10回 タイトな社会と緩やかな社会:コメ理論からアジアの人々の行動を読む
  11. 第11回 市場を創る国家:民主主義・ガバナンス・腐敗から読むアジアの経済発展
  12. 第12回 時計と規律:アジアの工場から読む労働力の形成
  13. 第13回 期待賃金と人のつながり:フィリピンの村から読む農村から都市への労働移動
  14. 第14回 縫製工場と性別規範:バングラデシュ・インド・ミャンマーから読む女子労働
  15. 第15回 裁量技能と組織コミットメント:アジアの工場から読む労務管理