リーダーシップ研修という名の「地獄の社交場」にて
先日、私はとあるリーダーシップ研修に参加してきました。経営大学院(MBA)で学んだ高尚な理論が、泥臭い現実のビジネス現場でいかに無力化されるか、あるいは補強されるかを確認するための、いわば「人間観察のフィールドワーク」です。
そこで私は、一種の「絶滅を免れた珍獣」に出会いました。彼は私と同年代、IT企業のマネジメント層(あるいはその候補)として参加していましたが、その口から飛び出した言葉に、私は危うく手に持っていた高いだけのミネラルウォーターを吹き出しそうになりました。
「いやあ、僕は特別なスキルなんて何もないんですよ。エンジニアリングもわからないし、マーケティングも怪しい。でもね、人脈だけで仕事してるんです。結局、ビジネスは『誰を知っているか』ですから」
彼はそう言って、自信満々に笑いました。
驚くべきことに、彼はそれを「謙遜」ではなく「勝ち誇った生存戦略」として語っていたのです。聞けば、現場では顧客からの信頼は薄く、ITプロジェクトの肝である「要件整理」すらおぼつかないとのこと。
経営学を学んだ人間から見れば、これは単なる個人の怠慢ではありません。そこには、「人脈(ソーシャル・キャピタル)」という言葉を「免罪符」に履き違えた、極めて現代的な喜劇が横たわっています。
今回は、この「自称・人脈の王」という名の悲しきピエロを、経営理論というメスで解剖していきましょう。
掛け算の「0」に何を掛けても「0」であるという単純な算数
彼が振りかざす「人脈」という武器は、経営学的には「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」と呼ばれます。平たく言えば「人間関係のネットワークから得られるお得なリソース」のことです。
確かに、人脈は重要です。信頼関係があれば、初対面の相手よりも仕事がスムーズに進む。これは紛れもない真実です。しかし、彼のような「自称・人脈マン」が決定的に見落としているのは、人脈とは「自分の実力(人的資本)」という数字を増幅させるための「掛け算の倍率」に過ぎないという事実です。
「スキルなし」の人間が持つ人脈の正体
彼は「特別なスキルはないが、人脈はある」と言いました。これを上記の数式に当てはめるとどうなるか。
彼の「実力」が $0$ ならば、どれほど広大な人脈(例えば $10,000$ 人の知り合い)を持っていたとしても、成果は $0 \times 10,000 = 0$ です。
IT企業において「要件整理ができない」というのは、プロトコル(通信規約)を理解していないルーターのようなものです。
彼が言う「人脈」は、経営学的な意味での資本ではなく、単なる「知り合いの数という名の、中身のない電話帳」に過ぎません。要件整理、つまり「顧客の曖昧な要望を、コンピュータが理解できる論理に翻訳する」というプロとしての専門能力が欠如している状態で、どれほど多くの人と繋がろうとも、そこを流れる情報はすべて「ノイズ」に変換されます。
彼が顧客から信頼されていないのは当然です。顧客は「飲み友達」を探しているのではなく、「課題を解決してくれるプロ」を探しているからです。
「特別なスキルはないが、人脈はある」というセリフは、「超豪華な回転寿司の『レーン』だけは完璧に用意したが、肝心の寿司の握り方はおろか、米の炊き方すら知らない」と宣言しているに等しい。
ネタ(実力)が乗っていない空っぽの皿が延々と虚しく回り続ける光景は、もはや飲食店ではなく、ただの「電気代の無駄遣い」という名のシュールな現代アートです。これはビジネスではなく、名刺という名の「空っぽの皿」を高速で回して周囲を期待させ、そして失望させるだけの「集団空腹ゲーム」の類です。
「調整」という名の思考停止
彼はきっと、自分の役割を「調整役」だと思い込んでいるのでしょう。しかし、経営学における調整(コーディネーション)とは、異なる専門性を持つ人々の間に入り、双方のメリットを最大化する高度な知的能力を指します。
「技術のことはわからないので、エンジニアに聞いてください」「顧客の言っていることはよくわかりませんが、とりあえず仲良くしておきました」
これは調整ではありません。ただの「メッセージの転送(フォワード)」です。
彼のような人間が間に入ることによって、プロジェクトの伝言ゲームの回数は増え、エラーの発生率は高まり、スピードは低下します。彼は「ハブ(中心)」のつもりかもしれませんが、組織から見れば「通信障害の発生源」に他なりません。
なぜ「人脈信仰」という名のバグが発生するのか
では、なぜ彼はこれほどまで堂々と、自らの無能を「人脈」という言葉でコーティングできるのでしょうか。ここには、「エージェンシー問題」という、組織におけるズルい心理が隠れています。
ITの現場は、専門外の人間から見ればブラックボックスです。そこで「要件定義」という泥臭い論理的思考から逃げたい人間にとって、「人脈」という言葉は最高に便利な「思考のショートカット」になります。
「私が調整しておきます(=飲みに行きます)」と言えば、何となく仕事をしている風を装える。これは、本来の業務遂行(会社の利益)よりも、自らの居心地の良さ(自分のサボり)を優先する、典型的なモラル・ハザードです。
彼は、自分の役割を「プロデューサー」と勘違いしているのかもしれません。しかし、真のプロデューサーとは、「異質な才能を組み合わせて、新しい価値を生み出す者」です。
中身を理解せず、ただ人を集めるだけの行為は、クリエイティブな仕事ではなく、ただの「混雑の創出」です。
人脈を「資産」に変えるための、冷徹な再教育
もし私が彼のコンサルタント、あるいは上司であるならば、以下の「経営理論に基づいた更生プログラム」を突きつけます。
「人脈の棚卸し」と「スキルの強制インストール」
まず、彼に「人脈だけで何とかなる」という幻想を捨てさせます。
経営学の言葉で言えば、「人的資本(自分の腕)」を鍛えない限り、「社会関係資本(つながり)」はただのコストであると叩き込みます。
具体的には、彼が「人脈」だと思っている人々にアンケートを取ります。「彼に技術的な相談をしたいですか?」「彼の要件定義を信頼していますか?」と。その残酷な結果を見れば、彼が持っているのは「信頼」ではなく、ただの「顔見知り」であることに気づくでしょう。
まずはSQLの一本でも書くか、せめてUML図(設計図)を読めるようになるまで、外部の人間との接触(飲み会)を一切禁止すべきです。
「翻訳能力」のスコアリング
彼が本当に「人脈」を活かしたいのであれば、専門家と顧客を繋ぐ「ブリッジ(橋渡し)」の能力を磨く必要があります。
「技術はわからない」と公言することを、「無知の知」ではなく「プロとしての敗北」と定義し直します。
顧客の要望を3つの論理的な要件にまとめられない限り、一歩も外に出してはいけません。彼に必要なのは「名刺入れ」ではなく「ロジカルシンキングの教科書」です。
評価指標の変更(ペナルティの導入)
彼のようなタイプがのさばるのは、組織の評価指標が「売上(の入り口)」や「雰囲気」に偏っているからです。
評価基準に「プロジェクトの炎上回数」や「下流工程(エンジニア)からの突き返し数」を導入しましょう。
「人脈で仕事を取ってきた」と豪語しても、その後の要件定義の不備で利益が吹き飛べば、彼は「組織に損害を与えた人間」として正当に低評価を受ける。経済的なインセンティブを正しく設計すれば、彼は「人脈」という逃げ場を失い、学習せざるを得なくなります。
結び:通信エラーを解消せよ
リーダーシップ研修で出会った彼は、今もどこかで「結局は人間力だよ」と、耳当たりの良い言葉を吐き散らしていることでしょう。
しかし、経営学という冷徹なレンズを通せば、彼の姿は「高価な外装だけを整え、中身に通信チップが入っていない、偽物のスマートフォン」のように見えます。
「人脈」は、それ単体では価値を持ちません。それは、内側にある「卓越したスキル」や「圧倒的な知見」というパケットを、世界に送り出すための「通信路」に過ぎないのです。
通信路を磨く前に、まずは送るべきデータを用意すること。
要件定義もできないITマンが語る人脈論ほど、通信帯域の無駄遣いなものはありません。
もしあなたが彼と同じ道を歩みそうになったら、どうか思い出してください。
「誰を知っているか」が意味を持つのは、「あなた自身が何者か」が確立された後の話である、という当たり前の、そして残酷な真実を。
次回の研修では、せめて「日本語」と「論理」が通じる相手に出会えることを切に願っています。