グロービスのMBAで「リスキリングと組織トランスフォーメーション」というコースを受講した。ITの現場でマネジメントを担う自分にとって、これほど刺さるコースは久しぶりだった。学んだことを整理しながら、自分なりの言葉で書いておきたい。
■ コースの構成
6日間のクラスは、ケースを軸にリスキリングと組織変革を体系的に学ぶ設計になっている。
– Day 1(AT&T):リスキリングとは何か。企業の競争優位とリスキリングの関係
– Day 2(日立製作所):リスキリングのプロセス。乗り越えるべき難所とは何か
– Day 3(中武製薬):アンラーニング。なぜ「学ぶ前に手放す」が必要なのか
– Day 4(マストバイ電機):ジョブ・クラフティング。新スキル習得後にどうやりがいを見出すか
– Day 5(DBS銀行):トランスフォームし続ける組織。組織ケイパビリティの転換をどう継続するか
– Day 6:個人課題の最終発表
AT&Tや日立製作所のような実在企業と、教材用の架空企業のケースを交互に扱いながら、「企業レベル」と「個人レベル」の両面から変革を考える構造になっている。単なるフレームワーク学習ではなく、自分の会社・組織にどう適用するかを考え続ける6日間だった。
■ 最初に覆された前提:リスキリングは「施策」ではない
受講前の自分はリスキリングを「数年かけて実施する能力開発プログラム」として捉えていた。研修を設計して、受けてもらって、スキルが上がって完了——そういうイメージだ。
Day5のDBS銀行のケーススタディを読んで、その前提が根本から崩れた。シンガポールの大手銀行であるDBSは、2009年からデジタル変革を開始した。フェーズ1でITインフラを刷新し、フェーズ2で社内のデジタル文化を醸成し(22,000人規模の再教育を実施)、フェーズ3でAIとプラットフォームによる新たな価値創造へ——今も続く15年以上の取り組みだ。終わりがない。
これは「プロジェクト完了」を目指すものではなく、組織のDNAへの変革の埋め込みだ。コースで学んだ言葉を使えば、Sensing(環境変化の察知)・Seizing(機会の掴み取り)・Transforming(組織の変革)を繰り返し続けるDynamic Capabilityそのものを育てることがリスキリングの本質だ。
さらに印象深かったのが、変革が「世代をまたいで積み上げられていく」という視点だ。第1世代がインフラを刷新し、第2世代がデータ文化を根づかせ、第3世代がAIで新たな価値を創る。各世代が受け取るのは技術ではなく、「変化を問い続ける文化」だ。ITで言い換えると、技術を教えることがゴールではなく、「技術の変化に適応し続ける組織」を作ることがゴールだ。
■ アンラーニングがなければ、ラーニングは始まらない
「何を学ぶか」より「何を手放すか」が先——これもコースの核心だった。
研究者Hislopはアンラーニングを3段階で説明する。Freeze(凍結)は「今のやり方で十分」という確信の状態だ。外から情報を与えても揺らがない。これをUnfreeze(解凍)するには、越境体験・顧客からのフィードバック・小さな失敗体験が引き金になる。そしてRefreeze(再凍結)で、新しいやり方を日常のルーティンとして定着させる。
技術者は自分の専門領域に強いアイデンティティを持っている。「自分はこの技術のプロだ」という確信が、無意識に新しい領域への踏み出しを阻む。新しい知識を入れても、古い認知フィルターで解釈し直してしまう。だからまず「凍結」を解かないといけない——この順序の話がとても腑に落ちた。
■ 日本のIT現場でありがちな3つの思い込み
コースを通じて、日本のIT職場に特有の「変わらない理由」が3つあると整理できた。
① 「変わらなくても、クビにならない」
終身雇用・年功序列の文化の中では、変化しないことへのペナルティが薄い。しかし問題は「クビになるかどうか」ではなく、「顧客に貢献できる人間であり続けられるか」だ。AIファーストへの転換を進める顧客企業の中に、IT知識を持つ人材がどんどん増えている。「わからないからITに任せる」が通じなくなる日は、もう来ている。
② 「自分にはできない」(できるの基準が高すぎる)
日本人に多い完璧主義。「完全に習得してから使う」という発想が、スタートを遅らせる。新しい技術は、完璧に理解してから使うものではなく、試しながら学ぶものだ。入口のハードルを極小化すること——たとえばNo-codeツールで小さく試してみることから始めることが、この壁を崩す。「完璧にできる」ではなく「とりあえず試せる」を最初のゴールに設定することが重要だ。
③ 「今の業務は今後も必要なはず」
これが一番やっかいな思い込みだ。過去の成功体験が「今の専門性は今後も通用する」という楽観バイアスを生む。研究者Marchはこれを「コンピテンシートラップ」と呼んだ——得意なことへの依存が、新しいことを学ぶ機会を奪う罠だ。ITインフラの安定運用は必要条件であり続けるが、それだけでは差別化の源泉にならなくなっている。
■ 小グループから始める合理性
では、どう変革を起こすか。コースで特に印象的だったのがSocial Contagion Theory(Christakis & Fowler)だ。感情や行動は、人から人へ「伝染」する。肥満・幸福感・禁煙の習慣でさえ、ネットワークを通じて広がることが研究で示されている。
組織変革も同じで、命令より伝染のほうが強い。上司が学び始めると部下も学び始める。隣の同僚が新しいことを試すと、自分も試してみたくなる。制度・強制より、身近な人の行動変容のほうが強い動機になる。
だから変革の起点は「全社一斉」ではなく、小グループからだ。心理的安全性は小集団(5〜8人)の中で最初に生まれる。有志2〜3人が試し始めると、それが5〜8人に広がり、やがて全体へ波及する。時間はかかる。しかしそれが定着する唯一の道だと思う。大きく始めようとするほど抵抗が大きくなり、失敗する。
■ 今日からできること:ジョブ・クラフティング
「制度が変わるまで待てない」という人へ。ジョブ・クラフティングという考え方がある。ポジションや制度が変わらなくても、自分で仕事の意味・内容・関係性を再定義できるという考え方だ。
3つの次元がある。タスク・クラフティング(業務内容を少しずつ変える)、関係性クラフティング(新しい接点を自ら作る)、そして認知クラフティング(仕事の意味の解釈を変える)だ。
特に「認知クラフティング」が即効性が高い。「障害対応をしている人」と「顧客の事業継続を守ることで価値を生み出している人」は、同じ仕事をしていても全く違う動機で動く。制度もポジションも変わらなくても、認知を変えることで仕事への向き合い方が変わる。これがアンラーニングの最初の一歩になりうる。
■ おわりに
DBSのケースが示す通り、変革は15年以上かかる。1つのプロジェクトで完結するものではなく、世代をまたいで続いていくものだ。だからこそ、今日始めることに意味がある。
ITマネジメントの立場で言えば、自分が変わることがチームへのシグナルになる。上司が学ぶ姿を見せることが、命令より強い動機になる。小さく始めて、伝染させていく——それが自分の結論だ。